くたくたシェルのブログ

気ままに楽しむ燃え殻 (ash) のような人間が自分の頭の舵取りをするために書いています。つぶやくよりは考え、考え過ぎるよりは吐き出す、そんな記録を脳みその外に置きます。

IBMの日本語Watsonと人の仕事

ひょんなことで見つけた動画(埋め込み):

 

見所がいくつかあるので気づきを書き出してみました。

 まずWatsonから人に話しかけている点。カメラで人を察知し、かつそれが誰かを認識して名前で声をかけているのでしょうね。

人がどんな言語を使いどういう話題で話しかけるか未知の状態でWatsonが答えているのだとしたらすごいですね。英語と日本語が混在する話を両方同時に扱えているということ。言語を瞬時に識別できるということだし、一方で文脈や意味について会話の最初から最後までを通して共有しているということでしょう。なんかすごいぞ。英語で話しかけられて、理解しているのにもかかわらず日本語で返している理由は謎ですが(笑)

最後に、Watsonが人に質問・問いかけをしている点。人がWatsonに質問してそれに答えるというのはQ&Aサービスといった形で過去にあったかと思いますが、逆のパターンは意味が異なるのでは。Watsonが疑問を持ち、それを質問の形で人に問いかけるという情報処理もできるということでしょうか。

何かしらCMとしての作り込みの部分もあるのではないかと想像しますが、最初から最後までWatsonとの間の段取りなしの会話なのだとしたらすごいと思います。

 

その他関連リンク:

 

ちなみに、IBMのWatson は少なからず人工知能と呼ばれることもありますが、公式にはそういう呼称はされていないようなので、過剰な期待や不安を抱かないようにした方がよいですね。

 

上の記事と下の記事は関係ないので誤解なきよう。

 

これまたひょんなことで見つけた記事にリンク。

wired.jp

「奪われない仕事」についての記事なのですが、ここで触れたいのは「人の仕事を奪う」という発想について。そもそも仕事をしなくても人々が生きていけるなら、「質的・量的に仕事をしなくてもよくなる」という発想もありだと思います。自然言語を扱う仕事に機械が進出するわけなので、人がする仕事の重み付けが変わり、世の中や社会の仕組みも大きく変わりえますよね。

ただ、仕事をして人や社会に貢献することで喜びを得ることを目的として働いている人も中にはいるでしょうし、そうでないにせよ相変わらず純粋に仕事をしたいとか、何かに没頭・熱中したい人もいるでしょうから、仕事を全部機械にやらせようという話にはすぐにはならないとも思います。

極端な話、仮に皆が働かなくて良い時代が実現され、機械が人の衣食住に始まる生活必需品を作り用意するようになったとして、それらをどうやって人に配るか(どういう基準でどういう人に何をどれだけ与えるか)という課題もあります。単純に平等、ということになるかどうか、理想的な分配方法が何かは一概には言えませんね。

変な言い方ですが、こうなると、人は生きているというより機械に飼われているようにみなせなくもないです。そうは言っても、人は一人では生きていけず、自然に与えられたものや周りに生かされているという点では、実は程度の問題であって、現在と本質的に変わりはないのかも。これはどちらかというと、自分の生き方をどう見られたいかという話ですかね。

それ以外に、そもそもどういう生き方をしたいか、人としてどうありたいかという話も関わってきそう。

機械と仕事と人社会の関わり方ってどういう形がベストなんでしょうね。